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くさなぎなつき様 小説

月も見えない夜だから


――貴女は特別なのですから
 私がどうして特別なの?
――貴女は世界を見守るためにおられるのですよ
 どうして私なの?
――貴女は神様だから
 神様? 何も知らないこの私が?
――はい リシュエール様

 高い高い尖塔の中、白い翼を持った少女は空を見つめていた。
 流れるような金色の髪を腰の辺りで切りそろえられ、晴れた空を思わせる青い瞳を窓の外に向けている。
 不用意に飛び出すこともできない塔の頂上の部屋に開けられた一つだけの窓。
 ベッドとテーブルと椅子と本棚が一つ。
 それしか置けない、置かれない小さな部屋に少女はいた。
「私は何なのかしら。……私の名前はリシュエール。背中に白い翼を持った神様と言われる存在。……でもそれだけ。他に何も無い」
 部屋の扉からは毎日一人の翼を持たない人間が食事を持ってやってくる。
 少女――リシュエールが接するのはその人物と、今見ているこの窓から見えるもの、それだけだった。
 唯一言葉を交わす女性も名前は教えてくれなかった。ほとんど何も話さず、リシュエールの質問に言葉少なに答えるだけであった。
 幼き頃から尖塔に閉じ込められ、ここで与えられる書物からしか知識を得ることのできない少女の何が特別なのか。
 それは単に背にある翼のみが証であったのだ。
 白き翼があるために、少女は何も与えられず、ただ窓から人々を見つめるだけの生活を強いられてきたのだ。
「私に何があるって言うの? 背中に翼がある、ただそれだけじゃないの?」
 話す相手もおらず、一人窓の外を見つめ呟いた。
 視線の先には月も出ていない暗闇。
 遥か遠くに見える山並みも、今は暗く沈んでよく見えない。
 この街を囲う堅牢な石塀も闇に融けている。
 眼下に広がる街自体、既に人は眠りについているのだろうか、明かりは灯っていなかった。
「誰か私の声を聞いて。耳を傾けて。言葉を紡ぎだして。誰か」
 搾り出す声は石でできたこの部屋から外へ出ることは無かった。
 ……はずだった。
「こんばんは。お嬢さん」
 どこからともなく聞こえてきた声。一度も聞いたことの無いその声色に身を怯ませる。
「おいおい。自分で呼んでおいてびびるこた無いだろ?」
 楽しそうに弾む声が耳に再び入り、そして目の前に人が浮いているのが見えた。
 リシュエールはじりじりと後ずさり、眼前の人物をじっと見つめていた。
 黒い髪に黒い瞳。そしてその背中には黒い翼。今日の闇夜に融けてしまいそうなそんな人。
「おーい。リシュエール、大丈夫かー?」
 ボーっと観察していると、その視線を遮るように手のひらがひらひらと振られる。
 そして薄く笑いながらリシュエールの顔を覗き込んだ。
「リシュエール、あんたやっぱり綺麗だな」
「え?」
 唐突に現れた黒い翼の人物は一人納得したようにうんうんと頷いている。
 リシュエールにはそれが何を意味し、何を言いたいのかわからず呆気に取られるだけだった。
「ずっと見てたんだ。この塔の囚われの姫君を」
 歯の浮きそうな言葉をさらりと言い、リシュエールの白くほっそりとした手を取った。
「なあ、ここから出たいんだろ? 俺と一緒にここから出ようぜ」
 黒い瞳が細められる。
 にやりと笑うその人物をただ見つめていたリシュエールであったが、躊躇ったのちに小さく首を横に振った。
「いいえ。私はここから出られないのです。私はここから人々を見ていなくてはならないのですから」
「それは勝手に他の人間から与えられたことだ。……リシュエール。あんたは自分で判断し、そして必要だと思えることをすべきだ」
 口元を弓形に歪めながら黒い人はリシュエールの小さな部屋に入り込んできた。
「こんな狭い部屋に閉じ込めて! 何も知らない女を神様呼ばわりして! 何が神に祝福された国だ!」
 演説をするように手を広げ怒鳴る。
 今までこのように話す人に出会ったことが無く。……いや、人と話したことすら無かったのだから、対面している人物の行動がわからずにただただずっと見つめていた。
「あの、あなたは一体誰なんです?」
 やっと言った言葉を不思議そうに首を傾げながら聞くと、怒りを浮かべていた顔が先ほどとは違う人懐こい笑みへと変わる。
「あーそうだった。俺はアシュト。黒い翼の……まあ言うなれば悪魔さ」
「悪魔?」
「そー。俺ってさ、神様を攫いに来た悪魔なんだよーん」
 悪魔と言ったアシュトは、まるで悪魔らしからぬ態度でにっこりと笑う。
 リシュエールはというと、悪魔と聞いてもいまいち理解できずあらそうなんですか、と微笑んだ。
 二人は何ともいえない空気の中しばらく無言で微笑みあっていた。
「あー……リシュエール? 悪魔って……知らない?」
「悪魔ってなんですか?」
 にこにこと無害そうな笑みを浮かべている少女に、失礼と思いながらも大きな溜息を漏らす。
 ちらりと部屋を見渡せば、本棚には所狭しと詰められた悪魔など出てきそうも無い都合の良い本ばかり。
 これじゃあ知るわけねーよなあ、とアシュトはどう説明したものか考えを巡らせる。
「えーとね、悪魔って言うのはね、俺みたいなヤツを言うわけ」
「アシュトのような?」
「そ。黒い翼を持っていて、リシュエールのような白い翼を持つ人とは対になってる。言わば俺とリシュエールは争うべき相手なんだな」
「あら、そうなんですか? じゃあこうしてお話しててはいけないのではないですか?」
 少し困ったように眉根を顰めるリシュエールにアシュトは再び苦笑いを浮かべる。
「ホントはこうして話してちゃいけないとは思うんだけどね。でも俺はあんたと戦いたいわけじゃない。俺は……あんたを自由にしてやりたいだけなんだ」
 張り付いたような笑みのままポツリと呟く声に、リシュエールは青い瞳を大きく見開いて見せた。
「自由?」
「うん。自由」
 不思議な言葉を聞いたかのように口から零れた声を拾い、アシュトは続けた。
「自分の羽で空を飛ぶ。そして青く澄み渡った空の下で笑って欲しい。ここまで来られない動物たちに触れて欲しい。木々の作り出す影に入って安らいで欲しい。俺はそれだけを願ってるんだ」
 アシュトの真剣な眼差しはリシュエールの心を貫いた。
 初めて話した人がこれほどまでに自分のことを思ってくれるなんて俄かには信じられなかった。
「俺は何年もの間、夜になればこの塔の上でリシュエールの声を聞いてたんだ。苦しさ、悲しさ、諦め。そんな感情ばかりが俺の耳に届いてた。だから俺はあんたを連れ出しに来たんだ」
「そんなにずっと……?」
 こくりと頷く悪魔の姿に引き寄せられるようにリシュエールは手を伸ばした。
 ハッと驚いた表情も束の間。
 アシュトは差し出された白いその手を掴むと、ガラス細工を扱うようにリシュエールを抱きしめた。
「俺を受け入れてくれたからには、絶対あんたを不幸にはしない。悲しい思いなんてさせない。あんたに自由を感じて欲しい」

 何が少女を惹き付けたのかわからない。
 だが、この夜を境に少女の姿を見た者は誰もいない。
 ただ白い羽と黒い羽が一片、尖塔の部屋に残されているのみだった。
 月すら見えないその夜に、一人は自由を、一人は愛を手に入れた。

  おわり

あとがき:11111カウントリクエストの『ある夜のお話』です。
Halさん、半年以上お待たせしてしまってすみませんでした!
イメージだけはずっと出来上がっていたのですが、どうにもこうにも文章にならず、延々とこねくりまわしておりました(汗)
途中ギャグに走っていきそうな自分を押し止めたり、アホな展開にいきそうな自分を宥めたり、どうでもいいところに時間を費やしてしまいました。
天使と悪魔の恋を書いてみたかったのでこんな話になりました。
好きなことが書けて楽しかったです〜。
リクエストありがとうございました!

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