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くりん様 小説

冬の桜




 流れていく時は、止めることは出来ない。
 過ぎてしまった過去は2度と取り戻せない。
 だからこそ、今、この瞬間は、とても輝いているのです。
『時の管理人』 うさはる君の物語


 うさはる君は天使の一員。
 天使には背中に白い羽が生えているのだが、うさはる君には不思議なことに羽がなく、代わりに頭にうさぎのような耳がピョコンと付いている。
 通常の耳の他に持って生まれたウサギ型の耳。
 このウサギ耳は『過去の声』を聞くことが出来るのだ。
 二度と戻らない時の中に忘れられた、後悔の声、憎しみの声、悲しみの声……そして、伝えることの出来なかった……愛の声。
 神様は、そんなうさはる君に時間の流れを見守る重要なお仕事を与えた。
 うさはる君は、羽がないので飛ぶことが出来ない。
 なので、神様からもらった特性『空飛ぶパラソル』で『この世』の様子を見に行くのだ。
 時折時間の流れをチェックするために、パラソルを広げ、フワフワと天界から下界へ降りる。
 今日は豊かな自然の中にある小さな町に降り立った。
 季節は冬だ。あたり一面、雪が作り出す銀世界。
 とても天気が良い日で太陽の光がキラキラと雪に反射する……。

 その町の中心に、小高い丘があり、1本の桜の木が立っていた。
 うさはる君は、その桜の木の傍に降り立った。

「異常なしですね」
 時の流れを確認し、ホッとする……。
 ……うさはる君は『時の管理人』のお仕事が、実は苦手だった。
 辛いのだ。過去の声が聞こえてしまう分、辛くてたまらないのだ。
 うさはる君には、時をある程度自由に動かすことが出来るのだ。
 うさはる君の首にかけられた懐中時計。
 これは時の管理を任された時、神様から託された物で、これさえあれば時間を過去にも未来にも動かせる。
 過去の人の願いを叶えてしまうことの出来る代物なのだ。
 まさか時の管理人自ら時間を乱すわけにはいかない。
 だからこそ、過去の声が聞こえてしまううさはる君にとっては……このお仕事は辛いのだ。
<どうすることも出来ないのに、過去の声が聞こえてしまうのって悲しい>
 うさはる君は、このお仕事を自分に与えた神様に、恨み言の一つや二つ言いたくなるのだ。

 しばらく桜の木の下でぼんやりと雪景色を眺めていると……
 一人の男性が丘を上がってくるのが見えた。
 二十歳代前半くらいの若い男性。
 うさはる君の姿は人間には見えない。男性はうさはる君の横に立ち、桜の木を見上げる。

 男性は桜の木を懐かしそうに見つめ……小さな声で呟いた。
「……君はあの日、俺に何を伝えようとしていたんだい……?」
 男性がその言葉を口にした瞬間、うさはる君のウサギ耳はピクンと動いた……。
<うわ……嫌だよ!聞きたくないよ!>
 うさはる君は必死で拒もうとしたが、流れ込んでくる過去の声……。
『私はあなたのことが好きでした……。』
 澄んだ少女の声だ。
 何度も何度も繰り返す……。
『あなたのことが好きだった。いつも通学途中ですれ違う時、ドキドキしてた』
『だからこの町を離れなくてはいけないとわかった時、思い切って気持ちを伝えようと思ったの』
『あなたのことが好きだったの……。』

 少女の声は……過去のもの。
 そして、その声の主の存在は……この世には感じられなかった。
<死者からのメッセージだ……>
 うさはる君は、泣きたくなるのを堪えた。
 男性はため息をついて、寂しそうに微笑んだ。
「約束の日、俺、酷い熱出してここに来られなかった。名前も知らない君だったから、どうすることも出来なかった……」

 その声に応えるように少女の過去の声が囁く。
『私は明日この町を離れなきゃいけない……どうしても伝えたかった……でも、あなたは来なかった……』
『あなたのことが好きだった……その気持ちだけは伝えたかった……』
『あなたのことが好きなの……』
 少女の切ない声がうさはる君を追い詰める。
 少女がどんな人生を生き、どんな最期を迎えたのかはわからない。
 でも、2人のすれ違ってしまった気持ちだけ、この場所に取り残され……
 今もこの桜の木の下で息づいている……。
<だからこのお仕事……嫌なんだよぉ……>
 うさはる君は涙を落とした……。
 そして……震える手で懐中時計を握り締める……。
<ダメ!時間を乱しちゃいけない!>
 そんなことをしたら時の管理人として失格だ。
 懸命に自分の気持ちを抑え……座り込み俯く。
「君と話がしたかったな……」
 男性の切ない声……。
 うさはる君は顔を上げ、男性を見つめた……。
 男性は、透き通るような微笑を浮かべていた。
「約束守れなくてごめん。俺、君のことが好きだった……」
 もう2度とやり直すことが出来ない時間。
 その時間に取り残されてしまった人の想い……。
 どうすることも出来ない。
 手出しすることは許されない……。

 なら、せめて……。
 うさはる君はゆっくりと立ち上がり、桜の木にそっと手を触れる……。
 すると……桜の枝から次々と蕾が顔を出し……一斉に花開かせた……。
 冬の景色の中に輝く……満開の桜。
 少女の声が桜の花びらと共に男性に降り注ぐ……。
『あなたのことが好き……』

 男性は桜の異変に一瞬驚き目を見開いたが……その瞳から涙が零れ落ちた。
 まるで少女の言葉が届いたかのように泣き続けていた……。

<桜さん……ごめんね……>
 桜の木の時間を不当に動かしてしまった。
 そのことをうさはる君は必死で詫びた……。
 桜の木は、そんなうさはる君を優しく見守っていた……。

「これは違反ですよ……。」
 天使の一人が神様にこのことを報告した。
「あの子には時の管理は荷が重過ぎます」
 不安げに、言葉を付け加えた天使。
 神様はクスクス笑って言った。
「そんなこと、ありませんよ。あの子以上に時の流れの残酷さ、切なさ、優しさ……大切さをわかる天使は他にいないでしょう」
「でも、いつか大きな問題を起こしますよ!」
「その時は、その時です」

 うさはる君は時の管理人。
 うさはる君は、今日もどこかで時を見守っている……。

  おわり

 再度、くりん様のサイトのキリ番を踏んで、書き下ろしていただいた小説です。
 くりん様、ありがとうございます。

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